連載・知識の武装 第二回――モーリス・ジョリ『マキャヴェリとモンテスキューの地獄での対話』を読む
連載・知識の武装 第二回
法は壊されない、空洞化される
――モーリス・ジョリ『マキャヴェリとモンテスキューの地獄での対話』を読む
前回、『シオンの議定書』が一八六四年のフランスの本を種本にしていたことを書きました。今回はその種本そのものを読みます。偽書を通してではなく、直接に。
まず、この本がどういう形をしているかを説明します。
舞台は地獄です。そこで二人の亡霊が出会う。片方はニッコロ・マキャヴェリ、片方はシャルル・ド・モンテスキュー。三百年の隔たりのある二人が、権力について議論を始めます。全部で二十五の対話が続きます。
モンテスキューは言います。時代は変わった、権力は分立し、法が支配し、報道は自由になった、あなたの言うような専制はもう不可能だと。
マキャヴェリは笑って、その全部を使って専制を作る方法を語り始めます。
一 なぜ地獄なのか
この形式には理由があります。ジョリが本当に書きたかったのは、当時のフランス皇帝ナポレオン三世の統治手法でした。しかし現職の皇帝を名指しで論じれば、投獄される。
そこで彼は、三百年前の人物に語らせた。読者は気づきます。マキャヴェリが「私ならこうする」と言っていることは、いまパリで実際に行われていることだ、と。
つまりこの本のマキャヴェリは、悪の教科書ではなく、現地報告です。ジョリは思いつきを書いたのではなく、目の前で起きていることを分解して並べた。当たっていて当然なのは、そのためです。
ジョリはこの本を匿名で、しかもベルギーで印刷しました。それでも印刷所から足がつき、逮捕され、禁固十五ヶ月を科されています。本は押収されました。
危険を冒すに足るものだと、著者自身が判断していたということです。
二 マキャヴェリの語る技術
対話は長く、話題も多岐にわたります。ここでは骨になる部分を、私の読みで六つに整理します。
一 法は壊さない。中身を抜く
これが全体の土台です。マキャヴェリは、憲法を廃止しろとは言いません。むしろ残せと言う。国民が「憲法はまだある」と思っているうちが、いちばん都合がいいからです。
やることは三つ。条文はそのままに、解釈を変える。例外規定を作り、例外を常態にする。細目を下位の規則に委ね、その規則は議会を通さずに書く。
外形はすべて保たれます。手続きも踏まれます。ただ、中身がない。
二 言論は禁じない。飽和させる
ここがジョリのいちばん鋭いところだと思います。
マキャヴェリは、新聞を潰せとは言わない。買えと言う。しかも、味方の新聞だけを買うのではない。対立する立場の新聞も買う。
右の新聞も左の新聞も同じ手の内にあれば、国民はどちらを読んでも掌の上にいます。しかも両者が本気で罵り合っているように見えるので、誰も気づかない。読者は「自分は自分で選んで読んでいる」と信じている。その確信こそが目的です。
そしてもう一つ。情報を減らすのではなく、増やす。多すぎる情報は、判断を助けるどころか、判断を不可能にします。何が重要かが分からなくなれば、重要でないことに人々は時間を使う。
三 反対勢力は、自分で用意する
本物の反対派が育つ前に、偽の反対派を先に置いておく。不満のエネルギーには受け皿が要りますから、その受け皿をこちらで作っておけば、エネルギーは無害な方向へ流れます。
秘密結社があるなら、潰すより中に人を入れたほうがよい、ともマキャヴェリは言います。潰せば地下に潜って見えなくなる。残しておけば、動きが読める。
四 混乱を起こし、収拾者として現れる
不安が高いとき、人は自由よりも秩序を求めます。ならば不安を作ればよい。
肝心なのは、権力を奪うのではなく、国民の側から権力集中を求めさせることです。そうすれば、集中は正統性を帯びます。求めに応じただけ、という形になる。
五 手続きを複雑にする
行政機構を複雑にし、財政を分かりにくくする。専門用語を増やし、所管を分ける。
そうすると、誰も全体を把握できなくなります。全体が見えなければ、責任の所在も見えない。追及しようとしても、どこに向かって追及すればよいのかが分からない。
これは隠蔽ではありません。すべて公開されていて、なお分からない、という状態を作るのです。
六 時間を味方につける
急がない、という技術です。
一世代のうちに変えようとすれば抵抗されます。二世代かければ、抵抗する側の記憶が消えます。前がどうだったかを知らない人が多数になれば、いまの状態が自然に見える。
教育に手を入れる意味は、ここにあります。今日の世論を動かすためではなく、二十年後の常識を作るためです。
三 モンテスキューは何と答えたか
ここが重要です。議定書には、この部分がありません。偽書の作者は、反論者の台詞をすべて削り、マキャヴェリの独白だけを残しました。だから議定書には、対抗策が一行もない。あるのは絶望だけです。
ジョリのモンテスキューは、こう答えます。
まず、精神論に逃げない。国民が賢くなれば防げる、とは言わない。制度は必ず腐るという前提から出発します。
だから権力を分け、相互に監視させるしかない。分けた権力が互いに邪魔をするのは非効率ですが、その非効率こそが安全装置なのだ、と。効率を求めて権力をまとめた瞬間に、その装置は外れます。
そして、公開と記録。誰が、いつ、何を決めたかが残ること。決定そのものより、決定の跡が残る仕組みのほうが大事だと言います。
ただ、正直に書いておきます。この対話でモンテスキューは、押されています。マキャヴェリの論に押し切られる場面が続き、最後まで完全な反論はできない。
ジョリはわざとそう書きました。楽観的な結末にすれば、警告になりませんから。
四 いまの日本と、突き合わせる
百六十年前のフランスの話です。当てはめるのは慎重にやらねばなりません。ただ、いくつかは考える価値があると思います。
法を残して中身を抜く――法律の細目を政令や省令に委ねる範囲が広がれば、実質的な決定は議会の外で行われます。条文は変わらないまま、運用が変わる。これは特定の政権の話ではなく、行政国家に共通する構造です。
言論の飽和――いまの日本で誰かが新聞を買収する必要はありません。情報はすでに過剰です。一日に流れてくる量が処理能力を超えていれば、結果は同じことになります。何が重要かを判断する余力が残らない。
対立軸の管理――ここは、ご自分に問うてみる価値があります。自分が支持している側と、対立している側。その二つは、本当に違う枠組みにいるのか。同じ枠の中で役割を分けているだけということはないか。
責任の所在の消失――何かが起きたとき、誰の判断だったのかが最後まで分からない。これは日本の組織で繰り返し見られる現象です。悪意がなくても起きます。むしろ悪意がないほうが、直りません。
時間差――教育で変わったものは、変わった当人には見えません。二十年後に効いてきます。逆に言えば、いま常識だと思っていることの一部は、二十年前に誰かが選んだ結果です。
五 この読み方には、条件がある
最後に、使い方の話をします。
この手の分析には、決まった落とし穴があります。手口の一覧を手に入れると、あらゆる出来事がその一覧に当てはまって見えてくる。そして、当てはめた先には必ず誰かがいる。
ジョリの本が優れているのは、犯人を名指ししていない点です。彼が書いたのは「こういう構造がある」であって、「誰それが黒幕だ」ではありません。構造は、悪人がいなくても作動します。むしろ善意の人が効率を求めた結果として生まれることのほうが多い。
ですから、この一覧を使うときの条件を一つだけ置きます。
まず、自分が信じている側に当てはめること。
自分が読んでいる媒体、支持している人、共感している主張。そこに同じ手口が使われていないか。そちらを先に点検して、何も出てこなかったときにだけ、外へ向ける。
逆の順序でやると、この一覧はただの敵探しの道具になります。それは、いちばん操られやすい状態です。
なぜそうなるのかは、次々回のエリュールが徹底的に解明しています。彼の結論を一行で言えば、こうです。自分は騙されていないと考える人ほど、深く入っている。
その前に、次回はバーネイズを読みます。ジョリが「こういう手口がある」と警告した二十世紀に、それを堂々と職業にした男の話です。彼は自分の手法を隠しませんでした。本にして売りました。



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